鹿児島市の概要
鹿児島市(かごしまし)は鹿児島県中央部にある鹿児島県の県庁所在地です。南九州の中核都市である同市は、古くは島津藩77万石の城下町として栄え、明治22年(1889)に日本で初めて市制を施行した都市の一つに数えられます。錦江湾と雄大な桜島は国際的に有名な観光都市です。平野部の大部分は商業地域として整備されており、傾斜地、山間部に関しても多くも宅地開発され、団地やニュータウンが数多く点在します。また、火山にも近く温泉源が多く、市内の入浴施設は殆どが温泉です。
鹿児島のあゆみ
鹿児島は噴火による火山灰からある程度の年代を推定する事ができます。火山灰の間にある土層や火山灰の中に、様々遺跡や遺物等が発見されています。稲作の時代まで、ここには人が定住しなかったという説をくつがえす発見があり、各メディアから取り上げられたのは記憶に新しいです。
鎌倉時代に入り、幕府から任命された関東の武士達が南下、各地に赴任します。その中でも惟宗氏が大荘園の下司職、後の守護に任命されます。後に荘園の名前をとり、島津を称するようになります。島津氏の内部紛争に始まり、南北朝の対立等も手伝い、長い動乱の時代となります。
またこの頃から諸外国との貿易が活発に行われるようになります。
16世紀の中頃には、我が国最初にキリスト教を伝えたフランシスコザビエルが上陸します。
関ヶ原の戦い後、城を城山麓に移転、城下も建設し領内の整備が始まります。この時に、琉球を征服して薩摩の属領とします。島津直属の武士は城下に、それ以外の武士は農村に残すという、兵農分離策をとる「外城制度」を施行し、地方政治と軍事の統括を行います。
幕末の混乱の中で、鎖国、将軍後継・尊王攘夷・公武合体・生麦事件・薩英戦争などが繰り広げられ土佐、長州、薩摩などの武士が大いに活躍します。西郷隆盛、大久保利通など、後の日本に多大なる影響を与える政治家を輩出しています。19世紀中頃、第28代島津斉彬のもと集成館(現:尚古集成館)が建設され、ヨーロッパの機械文明を取り入れた研究が進み、反射炉・溶鉱炉が製造され、近代工業化の発祥の地となります。明治4年(1871)の廃藩置県で鹿児島市は県庁所在地となり、合併、編入を繰り返し、昭和55年(1980)には、人口50万人を突破し、平成8年(1996)には中核都市に指定され、南九州の中核都市として今もなお発展を続けています。
鹿児島の名前の由来
鹿児島という名前の由来は、野生の鹿の子が多く生息していたという説から、火山を意味するカグという言葉からきた、他には多くの水夫(かこ)が住んでいたからと諸説があります。
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| 鹿児島の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓ |
鹿児島市立ふるさと考古歴史館 |
| 住所: |
〒891-0144
鹿児島県鹿児島市下福元町3763-1-1F [地図を見る]
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| 電話番号: |
099-266-0696 |
| 開館時間: |
9:00〜17:00 |
| 休館日: |
月曜日(休日のときはその翌日) |
| 入館料: |
大人(高校生以上)300円
小学生・中学生150円 |
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