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おすすめ度: |
1件 |
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| 接客・対応 : |
5 |
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| 価格・対価 : |
5 |
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| 設備 : |
5 |
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| 雰囲気 : |
5 |
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| 総合おすすめ度 : |
5 |
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| 住所:〒892-0853 鹿児島県鹿児島市城山町7-2 |
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電話:099-222-5100
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| 投稿者 ブルーマウンテンさん 投稿日 2008年04月24日 |
| 七高造士館跡 |
黎明館はかつてのナンバースクールの1つ、鹿児島第七高等学校造士館のあった場所です。
ナンバースクールと言っても今我々の世代で知っている人は稀でしょうが、明治時代から昭和初期にかけて存在した官立の高等学校で、東京の第一高等学校から名古屋の第八高等学校までありました。
基本的には旧帝国大学への入学が認められていたため、ナンバースクールの合格率は1%以下だったそうです。
そんな難関試験を突破し七高に入学した学生は“七高さん”と呼ばれ、鹿児島市民からも大変親しまれていたそうです。
七高には日本全国また海外からもその南国のおおらか雰囲気に憧れて優秀な人材が集まり、ナンバースクールの中でもとりわけバンカラな校風だったそうです。
入学するのも大変ですが卒業するのも大変で、同じ学年を2年続けて落第すると退学という厳しい規則がありました。
ちなみに落第することを“ドッベル”(ドイツ語)と言ったそうですが、「お前、今年ドッペった?」なんて会話が学年末には校内のいたるところで交わされていたのでしょうか(笑)。
また1年次には全員が寮生活を送る決まりとなっており、七高生はそれぞれ南寮、東寮、西寮に入りました。
寮はそれぞれが学生の自治で運営されており、寮ごとに特色があったそうで、七高おける寮生活は才気溢れる七高生にとってそれはそれは楽しいものだったそうです。
学問に運動そして人格の形成と、寮生活ならびに七高での3年間は明治維新を成し遂げ列強国の仲間入りを果たした日本を背負う若者たちの輝かしい青春の日々だったに違いありません。
ただ残念なことに太平洋戦争は七高生はじめ、多くの学徒の命を奪いました。
文系の学生や二十歳に達していた学生には召集令が下り、その多くが戦場で命を落としました。
また勤労学生として工場に借り出された学生も空襲や原爆などで、七高生も含め多くの学生が命を落とされたそうです。
黎明館はそんな輝かしい歴史と悲しい歴史をもつ鹿児島第七高等学校造士館のあった場所で、今では肩を組む七高生の銅像が建てられています。
七高は現在では鹿児島大学に併合されており、校歌「北辰斜めにさすところ」は今でも鹿児島大学で歌い継がれているそうです。
僕が訪れたのはもう10年以上前ですが、鹿児島を訪れた際は是非また立ち寄りたい場所ですね。
黎明館の中に資料館もあります。
皆さん、よろしければ古き良き時代の鹿児島の息吹を感じてみてください。
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